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 Vol.51            ラースと、その彼女(2007年/アメリカ/ショウゲート/106分)
■鑑賞日 2009.04.19(日) ■劇場名 Cineとかちプリンス
■作品データ
■監督 クレイグ・ギレスビー
■キャスト ラース・リンドストロム/ライアン・ゴズリング、カリン/エミリー・モーティマー、ガス/ポール・シュナイダー、マーゴ/ケリ・ガーナー、ダグマー・バーマン医師/パトリシア・クラークソン、/R・D・レイド、/ナンシー・ビーティ、/ダグ・レノックス、/ジョー・ボステック、/リズ・ゴードン
■ジャンル ドラマ
■あらすじ
アメリカ中西部の小さな町に暮らすラースは、優しくて純粋な青年で町の人気者だが、ずっと彼女がいないために兄のガス、義姉カリンらは心配していた。そんなある日、ラースが「彼女を紹介する」と兄夫婦のもとにやってくる。しかしラースが連れてきたのは、ビアンカと名づけられた等身大のリアルドールだった。兄夫婦を始め、街の人たちは驚きながらも、ラースを傷つけないようにビアンカを受け入れようとする。ビアンカの存在はラースに自信を与え、彼の心を開いていくだけでなく、街の人達の絆や交流も深めていくのだった。だが、ビアンカが突然倒れてしまったことから事態は急転する‥。
■コメント

人と付き合うのが苦手な青年が、人形を恋人だと言って生活を始める。こんな青年を「普通」だと思う人はいないだろう。リアルドールとは聞こえはいいが、要するにほとんどダッチワイフウであり、途中までは何やらアブナイ話なのである。少しコミカルな展開もあり、この先どうなるのか、前半では不安を覚えたものである。何しろ、主人公のラースがどうして人を避け寡黙になったか、その肝心の理由が明かされない。アナログ世代としては、行為の背景に何があるのか知りたいものなのだ。家族は驚愕・唖然とし、精神に異常をきたしたとして病院に連れていく。ここで出会う年配の女医によって謎は徐々に明かされていくのだが、今時、こんなスーパー女医は絶対にいないだろう。彼女は、狼狽する兄夫婦を前に「人形を恋人と思い込むラースの世界を、周囲が受け入れてあげることが問題解決の糸口」とアドバイスする。そこから街の全ての人々が参加した田舎芝居が始まる。医者は即入院を指示し、周囲の人達は彼を変人扱いし距離を置く、というのが常識的だが、ここが決定的に違う。大袈裟に言うなら、地域社会に、悩んだ人を中で包み込み癒すエネルギーがあるのだ。現実社会の中ではないものねだりであろう。話が横道にそれるが、私が子供の頃、近所には「悩める人」がいたが、地域社会はそれなりに受け入れていたように思う。今、そんな人達を街中で見ることはない。どこかに隔離されているか、目立たぬようにひっそりと暮らしているに違いない。映画の中の社会は、かつての私達のそれなのかもしれない。尤も、映画のそれはあまりに徹底していて行きすぎの感ありだが‥。周囲の優しさの中で、彼自身、母の死に責任を感じており、それがトラウマとなって心を閉ざしている、ことが分かってくる。最初はラースのことを変人扱いし、いやいや演技していた人たちも徐々に変わっていく。ビアンカを恋人と認め、パーティに招待し、仕事まで世話する。彼女に「ハーイ」と声をかけるとラースが代わりに挨拶を返す。勿論、やりすぎの場面もあるが、町の人々が忘れかけていた交流を取り戻すのである。こういう展開になってくると、エンディングをどういう風にまとめるのか、そこに興味が向いてしまう。詳細を書くことは控えるが、恋人との別れであり、心を開き新たな地平にむかい歩き出すラースがいるのである。
簡記すれば、映画は人形との恋という突飛なスタートから、小さな町のヒューマニズムを通じて、主人公の心の再生というゴールへ至る道をハートフルに描いているが、前半と後半は別の映画を観ているような印象を禁じえなかった。
キャストに関しては、ラース役のライアン・ゴズリング。「きみに読む物語」が有名だが、特異的なキャラだけに破綻もなく演じきったのは流石というべきか。兄夫婦役のエミリー・モーティマー(カリン)とポール・シュナイダー(ガス)もいい。義弟の心を開くべく必至さが伝わるエミリー、弟が心を閉ざす原因が自分にあると苦悩を深めるポール。あとは、女医役のパトリシア・クラークソン。冷静で上品、こんな片田舎にいていいのだろうか(笑)。
ラースはレアケースか、ということを自問自答する。携帯やPCによるデジタル情報伝達が今や主流である。愛を告白するのも、喧嘩するのも、謝るのも、前述したツールを利用することも珍しくないらしい。つまり、アナログ的なというか、ラースほど極端ではないにしても、面と向かってコミュニュケーションをとれない若者が現実にいるのだ。オンラインでは繋がれても、オフラインでは孤立し、心を閉じてしまうという何処か歪んだ世界、イメージするだけで背筋が凍る思いである。ラースは今日の若者の象徴的な存在であり、周囲は、現代においてはあり得ない太い絆と愛情あふれる社会である。その意味において、映画は現代社会に対する強烈なアンチテーゼを示しているともいえる。シリアスなテーマであり、それなりのレベルにまとめた感はあるが、現実社会に住む私としては、ラースの「甘えすぎ」と、周囲の「甘やかしすぎ」はどうも共感できない。従って、評価は★3個とした次第である。

 Vol.52            オーストラリア(2008年/アメリカ、オーストラリア/20世紀フォックス/165分)
■鑑賞日 2009.05.02(土) ■劇場名 Cineとかちプリンス
■作品データ
■監督 バズ・ラーマン
■キャスト レディ・サラ・アシュレイ/ニコール・キッドマン、ドローヴァー/ヒュー・ジャックマン、キング・カーニー/ブライアン・ブラウン、ニール・フレッチャー/デヴィッド・ウェンハム、ギブリング・フリン/ジャック・トンプソン、キング・ジョージ/デヴィッド・ガルビリル、ナラ/ブランドン・ウォルターズ
■ジャンル アドベンチャー・ロマンス
■あらすじ
第二次世界大戦前夜のオーストラリア。ロンドンから英国貴婦人のサラが、夫が住む北部の町・ダーウィンにやって来る.。夫の領地に着いたサラは、夫が何者かに殺されたことを知る。彼女に残されたのは、広大な牧場と1500頭の牛だった。途方に暮れるサラだったが、夫から相続した土地と財産を守るために、牛を軍に売ることを決心する。だが、そのためには美しくも過酷な土地を牛を引き連れ9,000kmも横断しなければならなかった。熟練した牛追いが何人も必要だったが、サラにはアポリジニの使用人がいるだけで、確保する手立てはなかった。彼女はやむなく現地で出会った無骨なカウボーイ、ドローヴァーと手を組み、牛を引き連れ出発する。夫を殺害した勢力がこれを黙って見過ごすはずもなく、妨害の手は直ぐに伸びてくるのだった‥。
■コメント

「アドベンチャー・ロマンス」、個人的には好きなジャンルである。肩を張らずに、リラックスして観られるのがなによりいい。本作もこのジャンルで、主演がN・キッドマンとH・ジャックマンというご贔屓カップルなので見逃すことなどあり得ない。公開初日に映画館へ足を運ぶ。といっても、シネコン系の映画館ではないため、封切りからはかなり遅れてしまった。これは、シネコン系映画館のミニシアターに対する配慮なのか、それとも、単純に上映映画選択の問題なのか、いつも疑問に思うことである。
映画は、第二次世界大戦直前のオーストラリアを舞台に、イギリス貴族の女性と野性的なカウボーイの運命的な愛を描いたアドベンチャーロマンの王道を行く内容である。貴婦人と粗野な男、つまり、対極にあるような男と女が恋に落ちるというパターンは珍しくはない。要は、プロセスが問われる訳で、本作の場合は、最初は互いに蔑視するが、牛の大移動という苦難をともにすることで、認めあい、惹かれていく二人の心理変化がごく自然に描かれていたように思う。そして、恋に対する戸惑いや不安も描かれるが、特に、男が、生き方は変えられないとか、恋は成就しない、と言って尻込みする(=逃避する)のが同性として共感できる。その点、女性には迷いがない。N・キッドマンの美しさとも相まって、女性の強さが際立つ展開でもある。そして、「レディボス」といってサラを慕うアポリジニの子供ナラ。彼に対する母心もまた胸を打つものがある。「女は強し されど母はもっと強し」なのである。サラとドローヴァーの関係を縦糸とするなら、横糸はアポリジニの生き方や文化である。国による同化政策が進められていて、子供は強制的に施設に収容され、アポリジニとしての全てを捨てさせられるのだが、食い足りない印象は否めない。尤も、彼等の艱難辛苦を忠実に描くと主客転倒になってしまうだろうし、これが精一杯なのかもしれない。自然を崇め、自然と心通わせ、一体となって生きていく。そのことが、突進する牛の群れを止め、砂漠の中に水場を見出す能力に結びつく。主として、その生き方や不思議さについて描かれているだけである。
オーストラリアの美しい大地もスクリーン狭しと映し出される。乾季の殺伐・荒涼とした厳しい風景が、雨季には一転して緑と水に覆われ、命の花が咲く。ダイナミックな自然の躍動が目を引き付ける。そんな中を、馬上のカウボーイ達が颯爽と牛を追う。何ともカッコイイ。観ていて「オーストラリアに行ってみたい」気分になったのは私一人ではないだろう。
恋とアポリジニと大自然だけでもストーリーは充分に成立するが、映画はサラの土地を我がものにしようと狙う悪役も登場させ、混乱期の大地に渦巻く富と野望が描かれ、ハラハラドキドキさせられる。サラとドローヴァー、そして、ナラ達の絆が断ち切られようとするが、この手の映画が悲劇的な結末であってはならない。映画のクライマックスでは3人が運命的に再会を果たし、ハッピイエンドを迎える。165分の長編にもかかわらず、退屈しなかったのは、様々なストーリーを、オーストラリアの美しくも厳しい大地の中で、巧みに絡ませながら描いたからだと思う。
キャストに関しては、ニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンがなんたっていい。N・キッドマンは何でもこなせる実力派美人女優だが、本作のような芯の強い女性を演じると特に巧いと思う。「コールド マウンテン」のエイダ役が記憶に残っている。ヒュー・ジャックマンは、基本的にイケメン男優で、「X-メン」では退いてしまったが、「恋する遺伝子」のような軽妙洒脱な役が似合う。本作では髭面で野性味たっぷりのカウボーイを姿が素敵だった。あとは、悪役フレッチャーを演じたデヴィッド・ウェンハムとナラ役のブランドン・ウォルターズの好演が印象に残る。
この映画は、オーストラリアでロケーションし、主演のキッドマンとジャックマンは共にオーストラリア出身で、監督のバズ・ラーマンもオーストラリア出身と、かなりオーストラリアに拘った作品といえるが、出来そのものはローカル的なそれにとどまらず、誰が観ても楽しめる、これぞエンタテイメントという作品である。

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