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 Vol.53          グラン・トリノ(2008年/アメリカ/ワーナー・ブラザース映画/117分)
■鑑賞日 2009.05.25(月) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 クリント・イーストウッド
■キャスト ウォルト・コワルスキー/クリント・イーストウッド、タオ・ロー/ビー・ヴァン、スー・ロー/アニー・ハー、ヤノビッチ神父/クリストファー・カーリー、デューク/コリー・ハードリクト、ミッチ・コワルスキー/ブライアン・ヘイリー、スティーブ・コワルスキー/ブライアン・ホウ、カレン・コワルスキー/ジェラルディン・ヒューズ、アシュリー・コワルスキー/ドリーマ・ウォーカー、/ジョン・キャロル・リンチ
■ジャンル ドラマ
■あらすじ
妻に先立たれ、一人暮らしの頑固な老人ウォルト。人に心を許さず、無礼な若者達を罵り、自宅の芝生に一歩でも侵入されれば、ライフルを突き付ける。そんな彼に、息子や孫たちも寄りつこうとはしない。自動車工をリタイアしてからは、自宅を修繕し、ビールを飲み、月に一度は理髪店に通う、同じ日々の繰り返しだ。そんな彼の日常に変化が訪れたのは、隣家にモン族の少年タオの一家が越してきてからだった。学校へも行かず、仕事もない少年タオ。そのタオに対し、アジア系移民の不良集団が、ウォルトのヴィンテージカー「グラン・トリノ」窃盗を強要する。幸いそれは未遂に終わったが、そこから2人の不思議な関係が始まる。ウォルトから与えられる労働で、男としての自信を得るタオ。タオを一人前にするという目標に喜びを見出すウォルト。だが、不良集団はタオを放ってはおかず、彼と彼の家族は命の危険にさらされる。彼の未来を守るために、最後にウォルトがつけた決着とは‥。
■コメント

「ミリオンダラー・ベイビー」以来、4年ぶりにクリント・イーストウッドが監督・主演を務めた作品である。「イーストウッド史上No.1」とか「どうやってこんな傑作をつくるのか、わからない」といったコメントとかコピーがどうも鼻について、積極的に観たい作品ではなかったが、例によって、他に観る映画もなく止む無くという感じで映画館へ。
映画は、朝鮮戦争従軍経験を持つ気難しい主人公が、近所に引っ越してきたアジア系移民一家との交流を通して、自身の偏見に直面し葛藤する姿を描くいたもので、「気難しい」「頑固」「偏見」という言葉を聞いただけで、すでにイーストウッドの世界である。意識や価値観の変化、変貌する家族関係や地域社会。どれ一つ見てもウォルトには苦々しく映る。アジア系住民を蔑視し、「力」を信奉する、それは濃淡はあれどアメリカ人の平均的な姿であり、古い頑固親父の物語である。だが、イーストウッドはここからが違う。2006年「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」に見られるように、独自の視点を展開する。軽蔑し見下していたはずのアジア系住民との交流で安らぎを覚え、生きるのに不器用な少年の姿に、父親に似た感情を抱く。少年タオに、男の話し方を教えるウォルト。床屋に行ってその通り話して見せるタオ。少年を温かいまなざしで見つめるウォルトは、その時、間違いなく父親だったのだ。それはやはり、アメリカに暮らす少数民族に対するイーストウッドの温かい思いに違いない。だからこそ、タオとその家族が命の危険に晒された時、本当の男の、人間の決着の付け方を見せたのだと思う。勿論、彼自身が朝鮮戦争で敵少年兵を銃殺したことに対する贖罪の念もあったに違いないが‥。とにかく、それは力に頼ると見せかけて、実は、自らの命を差し出すことで決着を付けるという、衝撃的なものだった。例え、病に侵されていたとはいえ、そんな選択が出来る人間はいないだろう。私など、喚きうろたえ人生を呪うに違いない。漠然としたものだが、彼の中にはどこかに武士道精神というか、東洋的というか、平均的な欧米人とは異なる意識・価値観があるように思う。そして、宗教の欺瞞性もまた暴いて見せる。新米神父にぶつける言葉の一つ一つがどれほど的を得たものだったか、多くを語る必要はない。だが映画は、宗教や家族に対して、僅かな期待も描いている。ウォルトが最後に息子に電話をし、新米神父とも和解を見出す。ここはイーストウッドの良心に違いない。
車好きなら、ヴィンテージカー「グラン・トリノ」は魅力的である。1972年フォード社製のその車は、愛犬とともにウォルトの親友もしくは息子といった存在だろう。孫娘がその車を見て目を輝かすあたり、あの手の車は今の若者も魅了しているようだ。エンディングでウォルトの遺言で、グラントリノのオーナーとなったタオ。海岸線を颯爽と走るその姿はやはり格好いい。同時に、今の車にない独特の存在感を放っていた。重い映画だったが、爽やかなシーンだった。
キャストに関して、気骨ある孤独な老人といえばイーストウッドの得意分野といった感じで、相変わらずの巧さである。少年タオに扮したビー・ヴァン、彼の姉役のアニー・ハーはほとんど無名の役者さんだという。前者は、自信なさげでおどおどしたタオ少年が、自信ある男に成長していく様を好演していたし、アニー・ハーも弟とは対照的な、快活で優しい娘を自然に演じていたように思う。これで無名とは‥。新米神父も、いかにもマニュアルどおりの説教や対応を繰り返し、笑いすら誘う熱演ぶりであった。あとは、孫娘。生意気な態度に鼻ピアス、ウォルトを蔑視しつつも、グラン・トリノに関心を示すいかにも現代っ子という雰囲気が伝わってきたものだ。
銃社会のアメリカ、そして移民が住むダウンタウン。映画のようなちょっとした事件は日常的に起きているのかもしれないが、そこを舞台にアメリカが内包する問題を描きだすのは、流石にイーストウッドといったところか。すっかり、社会派となってしまった感がある。★4個だが、5個に近い。

 Vol.54     お買い物中毒な私(2009年/アメリカ/ウォルト・ディズニー/105分)
■鑑賞日 2009.06.04(木) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 J・P・ホーガン
■キャスト レベッカ・ブルームウッド/アイラ・フィッシャー、ルーク・ブランドン/ヒュー・ダンシー、スーズ・クリース/クリステン・リッター、ゲレアム・ブルームウッド、ジェーン・ブルームウッド/ジョーン・キューザック、アレット・ネイラー/クリスティン・スコット・トーマス
■ジャンル ドラマ(コメディ)
■あらすじ
レベッカ・ブルームウッドは、一流ファッション誌の記者を夢見るNY在住の25歳。でも、理想と現実はあまりにも遠く、彼女が働くのは地味な園芸雑誌の編集部。どんなに期待外れな毎日でも、レベッカには魔法のストレス解消法があった。それは「お買いもの」。でも、レベッカのお買いもの好きはちょっと行き過ぎ。月末になると請求書の山と支払い催促の電話に悩まされるのだった。遂にカードの限度額を超えてしまったレベッカは、幸せを掴むべく一念発起し、転職活動を開始する。憧れのファッション誌に入るため、同じ出版社のお堅い経済雑誌の編集者として働き始めることに。適当に書いたレベッカの記事を編集長が大絶賛!。しかも、この編集長は良く見るとハンサムで‥。
■コメント

「グラン・トリノ」が少し重かったので、軽めの作品ということで観た一本である。世界中でベストセラーを記録しているというソフィー・キンセラの「レベッカのお買いもの日記」シリーズの映画化。
映画は、お買いものがやめられないヒロインの、恋も仕事もゲットしちゃうサクセス・ストーリー。「プラダを着た悪魔」とか「摩天楼は薔薇色」、「魔法にかけられて」などと同譜系のラブコメである。不純な動機で、経済雑誌編集者になったヒロインは、買い物から得た知識が武器になり、経済ジャーナリストとして大ブレイク。しかし、カード会社からの支払い催促がついに会社にまで、というもの。とにかく、買い物は世の女性達にとって特別なもののようで、必要もないのに、経済的に破綻しつつあるにも関わらず、つい買ってしまう。その麻薬性をこれでもかと描いている。キュートなレベッカが、バーゲンとなると目の色変えておばさま族と肉弾戦を繰り広げたり、買物中毒者の集まりで、お買物で得られる幸福感を夢のようにうっとり語ったりするのである。「買物という行為そのものに幸福感が詰まっている(要旨)」というセリフは目から鱗だった。それに、「借金して買い物してどこが悪いの!」とでも言いたげな開き直りがよい。一流ブランドも登場し、ファションショーさながらの豪華さも女性達にはたまらないに違いない。
心機一転、経済誌の編集者として働き始めるや、あれよあれよという間に大抜擢され、仕事も恋も手に入れる。後半、お決まりの一波乱はあるものの、それも雨降って地固まるといった感じなのだ。全てを清算したレベッカだが、最後に親友の結婚式で着るためのドレスを買い戻し、親友との関係が修復するシーンはホッとさせてくれる。望むものを手に入れたレベッカ、エンディングでは、それまで彼女を買物に駆り立てていたマネキン達も祝福の拍手を送るのである。動くマネキンを使っての感情表現は新鮮な感じである。それにしても、レベッカのお気楽人生ときたらどうだろう。実際はこんなにうまくいくはずはないと分かっていても、どこかに痛快で小気味よさも感じるのである。
主演のレベッカを演じるのは、「スクービー・ドゥー」などで人気沸騰のアイラ・フィッシャー。スターを育てるのを得意とするジェリー・ブラッカイマーがプロデュースしているだけあり、将来有望のキュートさだ。ただ、バーゲンシーンなどでは、おばさま族顔負けの形相で、これはもしかしたら地ではないかと思えてくるくらいの熱演ぶりであった。キャストに関して、脇役陣は比較的名の売れた役者さん達で固めているものの、相手役のヒュー・ダンシーも私的には無名である。何か裏があるのかもしれないが、それゆえ新鮮だったともいえる。
消費大国アメリカはいま、GMの倒産に象徴されるように、サブプライム問題に端を発した経済危機の最中にある。大袈裟に言うなら、本作は、支払い能力を超えて、借金で物欲を満たしてきた生活スタイルに疑問を投げかける作品で、タイムリーなそれといえよう。アメリカが求められているもの、それはレベッカのように、物質的豊かさから精神的な豊かさへ変わっていくことのように思えてならない。その意味では、極めて示唆に富んだ映画といえるかもしれない。
評価はアイラ・フィッシャーのキュートさに免じて★3個とした。

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