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 Vol.57     トランスフォーマー:リベンジ(2009年/アメリカ・パラマウントピクチャーズ・ジャパン/150分)
■鑑賞日 2009.07.17(金) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 マイケル・ベイ(製作・総指揮スティーブン・スピルバーグ)
■キャスト サム・ウィトウィッキー/シャイア・ラブーフ、ミカエラ/ミーガン・フォクッス、レノックス/ジョシュ・デュアメル、エップス/タイリース・ギブソン、シモンズ捜査官/ジョン・タートゥーロ、/レイン・ウィルソン、/イザベル・ルーカス、/アメリカ・オリーヴォ、/マシュー・マースデン、/サマンサ・スミス、/グレン・モーシャワー、/ケヴィン・ダン、/ジュリー・ホワイト、/ジャレブ・ドープレイズ
■ジャンル SFアクション
■あらすじ

ミッション・シティでの戦いから2年。オプティマス・プライム率いるオートボットはアメリカ軍を母体とした対ディセプティコン特殊部隊NESTの一員として世界各地に散らばっているディセプティコンの残党退治に勤しんでいたが、最近になって出没回数が増えていること、そしてデモリッシャーが死に際に残した「ザ・フォールン様が蘇る」という言葉を聴き、ディセプティコンが何か企んでいるのではと疑念を募らせる。一方、大学に進学したサムは両親、恋人のミカエラ、そしてバンブルビーとの別れを惜しみつつも、これから始まる大学生活に胸を躍らせていた。しかし、引越しの最中に見つけたオールスパークの欠片に触れた瞬間、これまで見たことのない文字が頭に浮かぶようになり、授業中に錯乱するなどといった症状が出始める。もしかしたら自分も祖父のようにいつか発狂するのではないか、とサムは疑い始めた‥。

■コメント

2年前に第一作が公開されたが、マイケル・ベイとスティーヴン・スピルバーグが製作・総指揮したSF作品ということで、期待を込めてスクリーンに目をやったものである。が、結果は車やヘリ、戦闘機などがトランスフォームするシーンこそ見応えはあったが、その他は×。★2個の駄作だった。シリーズ2作目が傑作SFに突如変身する可能性は少なく、普通ならスルーする作品だが、娘が観たいとあれば無下に断るわけにもいかず、渋々鑑賞することとなった(笑)。
今回は前作の1億5,000万ドルの2倍にあたる製作費が投じられたという。監督は前作に引き続きマイケル・ベイが担当。シャイア・ラブーフをはじめ、前作の主要キャストも続投している。
映画は、アメリカのみならず、ロンドン、上海、エジプトなど世界各地を舞台に物語が展開していく。金属達のトランスフォームが量・質ともに進化し、オートポットとディセプティコンとのバトルシーンもスケールアップが図られている。今回、トランスフォーマー達は地球と1万年以上前から交流があり、世界各地の古代遺跡は実は彼らの遺跡だったという設定になっている。既視感ありありだが、これもまた前作には見られなかった深みである。しかし、例えば、クラシックカーにトランスフォームしていたという話が出るが、自動車や飛行機が発明される前は何になっていたのか。思わず、突っ込みを入れたくなるシーンは随所に見られる。ストーリー的にもナンデモアリ(笑)で、米軍部隊がいきなり中国でド派手に戦闘するし、人間型トランスフォーマーはほとんどターミネーターだし、フランスにいるはずの両親が突然エジプトに現れたりするのである。進化したトランスフォーマー達の圧倒的な破壊力の前に、人間達は無力のはずだが、主人公サムやミカエラは無敵である。今回も、最後にディセプティコンに決定的なダメージを与えるのはサムなのである。ちょこちょこ走るサムに、メガトロンもスタースクリームも絶対追いつけないし、銃弾も当たることはない。一瞬、命尽きたかと思わせたものの、予想通りに生還する訳で、安心して観ていられたことはいうまでもない。
映像的には、とにかく、トランスフォーマー達が沢山登場し、スクリーン狭しとバトルを繰り広げる。前作よりも戦闘シーンは長く、精巧な変身はもとより彼らの質感なども伝わってくる。CGは確かに秀逸である。ただ、どっちがオートポットなのか、ディセプティコンなのか、正直なところ区別がつかない(笑)。あとは、空母が撃沈される場面なんかが印象に残る程度である。
キャストに関しては、シャイア・ラブーフとミーガン・フォクッスが前作同様の熱演(?)を披露してくれる。演技に対する高評価は聞いたことがないが、映画の軽さ・アバウトさからして「これはこれでいいんじゃないの」という印象である。他では、シモンズ捜査官役を演じたジョン・タートゥーロのあくの強さは好感が持てるぐらいだ。
エンディングでは、ディセプティコンが「覚えてろよ!」なんていう感じで敗走するシーンがあり、次回作への布石もしっかりと描かれている。私としては、たとえタダでも観たくないが、万事大雑把なアメリカではこういうのが好まれるのかもしれない。元ネタはメイドインジャパンなのだが、その面影を映画に見出すことはもはや困難である。評価は★1個に近い★2個。最も辛い点数となってしまった。

 Vol.58           愛を読むひと(2009年/アメリカ・ドイツ/ショウゲート/124分)
■鑑賞日 2009.08.08(土) ■劇場名 CINEとかちプリンス劇場
■作品データ
■監督 スティーヴン・ダルドリー
■キャスト ハンナ・シュミッツ/ケイト・ウィンスレット、マイケル・バーグ/レイフ・ファインズ、マイケル・バーグ(青年時代)/デヴィット・クロス、ローズ・メイザー/レナ・オリン、イラナ・メイザー(若き日の)/アレクサンドラ・マリア・ララ、ロール教授/ブルーノ・ガンツ、
■ジャンル ドラマ(ラブ・ストーリー)
■あらすじ

1958年のドイツ。15歳のマイケルは気分の悪くなったところを21歳年上のハンナに助けられる。その出会いから、2人はベッドを共にするようになる。21歳年上のハンナとの初めての情事にのめり込むマイケル。ハンナの部屋に足繁く通い、請われるままに始めた本の朗読によって、2人の時間はいっそう濃密なものになるが、ある日、ハンナは忽然と姿を消してしまう。1966年、大学で法律を学ぶマイケルは傍聴した法廷の被告席にハンナを見つける。彼女は戦時中の罪に問われ、無期懲役の判決を受けるのだが、裁判に通ううちに彼女が必死に隠し通してきた秘密にようやく気づき、衝撃を受けるのだった。
時は流れ、マイケルも娘の父となるが、ハンナへの思いは断ちがたく、最後の「朗読者」になろうと決心する。彼女の服役する刑務所に物語の朗読を吹き込んだテープを送り続けるのだった‥。

■コメント

この映画は、ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説「朗読者」を映画化したものである。私は原作を読んでいないのだが、以前から観たい作品で、地元の市民ボランティア劇場で上映されたのは8月に入ってからだった。都市部と地方の経済や医療分野の地域格差・時間格差が広がる傾向にあるが、こと文化面においてもそれは顕著になりつつあるようだ。
さて、本題に移ろう。本作は「普遍の愛」、それも男の視点から描かれている。15歳といえば高校生。私がそうだというわけではないが(笑)、一般的に年上の女性に対する憧れは強い。プロセスはどうあれ、年上の女性と関係ができれば少年は舞い上がるに違いない。そしてそれは、心に強烈なインパクトをもたらすだろう。主人公のように、少年の心は全て女性のものとなるが、女性のそれは必ずしも少年を向いていない。この乖離とギャップが少年を悩ませるのだが、成就しない愛は少年を男として成長させたりもする。だが、本作の主人公の少年は、幸せの絶頂期で女性に突然去られたこともあり、女性への想いを引きずったまま成長していくのである。映画の前半は2人の出会いから別れまでを描くが、唐突とも思える肉体関係の始まりや、読書がセックス前の儀式となる不可解さを払拭できないでいたし、車掌の女性が電車に乗った少年を無視したり、旅行中の食事オーダー時のうろたえぶりといい、女性=ハンナの行動にはどこか不自然さが付きまとう。実は、これが謎解きの鍵なのだが‥。そして、生活臭漂う女性と少年の青い性が交錯するシーンは意外なほどエロチックだった。中盤になり、青年となった主人公は法律の授業で裁判を傍聴し、そこで戦争犯罪人として被告席に立つ女性と再会する訳だが、その傍聴を通じて映画前半の疑問が解けていく。彼女は文盲であったこと、そして、忘れられないでいた女性が戦争犯罪人であったという事実。衝撃は計り知れないものがあるに違いない。愛と憎悪、私など受け止められるかどうか‥。青年は彼女に有利な事実を掴んではいるが、証言をするでもなく、彼女との面会もドタキャンしてしまう。このあたりの青年の心の揺れは単純な私にはどうもわからない。結局、彼女の無知とプライドが、彼女自身を無期懲役へと導いていく。終盤、時が経過し、結婚し子供まで設けるが離婚してしまうかつての青年。女性の存在がその遠因であったであろうことは容易に想像がつく。彼女に物語の朗読を吹き込んだテープを送るのも自然の成り行きに思える。だが、出所間近の彼女との再会は決して愛情あふれるものではない。少なくても表面的には‥。「坊や」といって手を出す彼女に対し、彼は半ば儀礼的に手を出す主人公。そこには埋めようのない温度差が感じられるが、この部分も何故なのだろう、との思いを払拭できない。戦争犯罪人ではあるが、自分が愛し続けた(愛している)女性が目の前にいるのである。違った接し方があるのではないか。彼女の後継人となり、出所後の諸準備も一応はするのだが、どこか「止む無く」といった態度が見え見えなのである。主人公の変節を女性が感じないわけはなく、自らその生涯を閉じることになる。哀れとしか言いようがない展開である。どこか優柔不断ではっきりしない主人公。夫として父として、恋人としても巧くやれるはずがないと確信しつつも、理解してあげたいという気にもさせられる。救いは、娘にハンナという女性のことを語る主人公の姿がエンディングで見られたことだろうか。愛にはいろいろな形があるのだろうが、私としては理解を超えるものが本作にはある。もしかすると、本作の意図は別のところにあるのかもしれない。つまり、許されない罪を犯したが与えられた職務を全うした1人の女性の生きざまと、「朗読者」になり続けた男の半生を描くことで、観る側に何をなし得たかを問うているのではないか、とも思ったりする。
キャストでは、ケイト・ウィンスレットが弁解を一切しない孤高の女性ハンナを見事に演じている。当初、ケイトの多忙さゆえに、N・キッドマンが予定されていたらしいが、ハンナのたくましいイメージはキッドマンにはミスマッチである。少し若く美しすぎるきらいはあるが、老婆役までしっかりこなし、オスカー受賞は当然の結果といえよう。レイフ・ファインズは「ナイロビの蜂」や「イングリッシュ・ペイシェント」もそうだが、こういう悩める役というか、一見、優柔不断のように見える役柄はとてもぴったりくる気がする。ハマり役とでもいえようか。後は、少年・青年時代のマイケルを演じたデヴィット・クロスでしょうか。背が大きすぎるのが気になるが、思春期の性や心の揺れを巧く演じていたと思う。
評価は★4個としたが、どちらかというと5個に近い内容である。

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